'08初島クルージング日記
 2008.10.18(土)〜10.19(日)の予定で初島クルージングに参加してきました。
今回の参加者は当日まで変更がありましたが、田中先生・奥さん・鈴木さん・松田さん(WindPulse
オーナー)・桑原さん・しんのすけ・斎藤ま)の7名です。(田中先生の奥さんとは初島で合流です。)

前の日から嬉しくて眠れません。理由は色々あります。
1. 天気が良さそう。(昨年の保田クルージング天気は最悪で寒かった。)
2. PEC(電子航海参考図)銚子〜御前崎版を購入し、古くなったGatewayパソコンとe-trex(ハンディ
   GPS)で構成される電子航海機器(別名:しんのすけ要らず。)のテストができる。
3. 10/20(月)まで休暇をとったので、時間を気にしないで思い切り遊べる。

桑原さんに、『釣りしますか?』とメールしたが『トローリング以外はしません。』の返事。『あのね、初島
ってアオリイカが釣れるんだよ。』『アオリは美味しいから、イカの王様って呼ばれてるんだよ。』って
言いたかったけど、一度も釣ったことないし自信ないから言わなかった。

しんのすけと東神奈川7:00待ち合わせ、桑原さんちによって、三崎マリン8:40分くらいに着いた。
お気に入りの三崎マリントイレ(ウォシュレット付き)で・・張ってる内に、ウィンドパルスは海の上、
慌てて飛び乗って『いざ出港!』9:30頃でした。

出港してから、キャビンの中でしんのすけ要らずのセッティングをした。GPS方位253°だから
磁針方位は260°になる。(関東地方の磁針偏差は西方向に現在7°のため。)
初島までの距離が約23海里。7ノットで進んでいるから4時間以内に到着できる。てなことがPECで
解ります。海図上に軌跡が残るから、すぐに進行方向のズレも把握できます。
まさに、しんのすけ要らずです。
松田さんが『斎藤さん。そんなにキャビンの中で作業してると気持ち悪くなるよ。』って、、、
そう言えば、さっきからこみ上げてくるものを感じていました。『なあに、外にでれば大丈夫。』
思ってたけど遅かった。しも側のコクピットに外を向いて座り続けることになりました。
←これがPEC
 (Personal Electronic
       reference Chart)
みんな大好き赤白浮標も載ってます。

ところで知ってた?
相模湾とは城ヶ島と真鶴岬を結ん
だ線の北側海域を言い、相模灘は
剣崎と大島・伊豆半島南端
を結んだ線の北側海域を言うんだ
そうです。したがて、今回はその
ほとんどを相模灘のクルージング
であったわけです。

長浜三戸浜はギリギリ相模湾ってこと
ですね。仕掛けてくる奴が居たら、
古田さんには『城ヶ島まで連れてった
ろうかい!』ではなく、今後は『相模灘
まで連れってたろうかい!』と言ってい
ただきたい。相模灘にはそら恐ろしき
響きがある。
今回のクルージングも自発的ライフジャケットとライフラインの装着日和でした。(トホホ、、)
斎藤は写真撮る時だけコッチ向き、すぐその後はアッチ向きに座っています。(トホホノホ、、)
平塚の真南相模灘上にPECでは浮標があることになっています。外を向いている斎藤がいち早く発見
『浮標がある!』  一同『、、、、』   斎藤『デッカイ浮標だなあ〜』   
桑原『本船の船尾だろ。』『でか過ぎるよ。』    斎藤『、、、』(気持ち悪いから逆らわなかった。)

流していたヒコーキがグンと沈みドラグが唸った。『これはでかいぞ!』誰ともなく声が出る。
しんのすけ要らずのおかげでコクピットに居たしんのすけが釣りあげる。『うーん。巻けねっ!』
弓なりの釣竿。いやが上にも期待は高まる。  『アッ!』悲壮な声、虚しいリールの回転音、一瞬の
静寂。こんなことが3〜4回ありまして、最後にやっとシイラを一匹釣りました。

シイラって釣ったばかりでも生臭くねえ? それでなくても気持ち悪いのに斎藤は写真撮る気にも
なりませんでした。したがって、写真は初島に着いてからシンノスケが捌いている時のものです。
何?『大きくない。』  うん。頭取っちゃった写真だからね。、、、気にしないでください。
刺身で食べたら『美味かった。』ってみんなは言ってました。私はパス。(生臭い魚は苦手。)
船を片付けて風呂に行った。何とかクラブと言う所。シャンプー・リンス・石鹸・髭剃り・シェーブ
ローション・タオルが使え、オーシャンビューの露天風呂付きで500円。良心的だなあ〜
民宿『力丸』
桑原さんがインターネット『食に自信あり。』で見つけた。前回泊まった所より少し奥にあります。
『食事ーふにゃふにゃ〜。』って声で下に降りると、最初に浴びせられた言葉は『5千円じゃあ、
こんな刺身は出さないんだけどね。』『爺さんが請けちゃったから、ショウガナイ。5千円じゃあ出さ
ないんだ。婆さんが伊勢海老2本も付けちゃって5千円じゃあ上がったりさあ。』 若女将、そこそこ
魅力的な顔してるのにシラケっちゃうんだよなあ〜。
『食に自信あり。』と言うだけあって、この民宿は量・味ともに満足できるものでした。
カトーさんや剛キャプテンが居なかったのが残念でした。とても食べきれなかった。

ニュースが『大島北西でプレジャーボートが転覆漂流中、付近の船舶は注意してください。』
『風も波も強かったもんなあ〜。明日は軽風だといいなあ〜』みんなの願いです。

・夜が更けて、外はびゅーびゅー風の音。
・ザザザッブーン、寝ててもすくむ波の音。
・あーいやだ、明日も行くのかしも側に。
・歯軋りするなと言うくせに、あんたの鼾はいいんかい。
・あかねさん、居ないと酔わないシンノスケ。
・八時には、完全熟睡還暦セーラ。
・日が出る前に、海を見に行く還暦セーラ。
・白波に、解っちゃいるけどウラメシヤ。
・朝ごはん、少しにしとけと桑原さん。どうせ出すなら腹一杯、食っておきたいサイトーま。
・そー言えば、寝る前ニュースで言っていた、大島北西って初島じゃん。
・家族にみやげ?そんな余裕は誰にもない。
・こんなでも、『フェリーで帰る。』と言わない田中さん。

         なんか改行さんに迫れるかも知れないなあ〜
←弥次郎兵衛のように、左右に揺れるフェリー。
 乗り場までは潮を被りながらの移動です。

←煮えくり返る磯際、しぶきが飛んできます。
フェリー乗り場の漁協で伊勢海老を買いながら、『美味しいブイヤベース作って待ってるからね。』
と明るく手を振る奥さんに見送られ、覚悟を決めてマリーナに向かいます。
正面から来る風に息が詰まります。背後から来る風に足元がフラつきます。『明日も休暇取って
ますけどー、、』なんて声は、風にかき消されて桑原さんには届かない。
サイトーま58歳、今までも色々あったけど人生最大のピンチです。絶体絶命のピンチです。

桑原さんが足を止めた。皆が、(大袈裟、私だけかも、、)すがる様な目で桑原さんを見詰める。
『今日はやめよう。危険だ。』   ヒャッホー!すぐに申告した。『僕、明日休みです。』
松田さんが『遊びで命をかけることはないよなー。』『賢明な判断だよ。』 (拍手・はくしゅー)
(やっぱり、みんな危ないと思ってたのね。ボクだけじゃなかったのね。桑原さん大好きー)

桑原・鈴木・斎藤の3名で明日回航することに決まり、田中夫妻・松田さん・しんのすけがフェリー
に乗りました。フェリーだって怖かったんだと思います。前後左右に30度くらい傾いてました。
漁協の親父が『欠航は時間の問題だな。』と呟いて、漁具を片付けていました。

マリーナに追加停泊の申請、民宿の手配(本日も力丸)をすると、退屈時間の始まりです。
それぞれが会社や家族に連絡したあと、初島巡りをしました。歩いて初島一周です。
『昭和42年まで電気が来てなくて、対岸熱海の不夜城を羨ましく思っていた。』なるほどー
『全周海が見渡せる灯台は、日本に此処だけ。』(小ちゃい島ってこと?)

アッと言う間に観光終了。そうだ歩きながらこんな話もしたなあ。
『ブイヤベースってなんだあ?』『伊勢海老買ってたからなあ、伊勢海老の料理じゃないかあ?』
『トマトソースの料理だよ。』『ピザみたいなの?』『馬鹿だなおまえ』団塊世代の話は続く。

二泊目の民宿『力丸』
『おはようございます、もう一日泊めていただくことになった桑原です。本日は3名です。』
『爺さんが請けちゃったから、しょうがない。3時までは誰も居ないから出入りできないよ。
 出入りしたければ、食堂によってよ。』←食堂もやっている若女将。
『はい。食堂に昼を食べに行くつもりです。』この言葉で、ちょっと態度がよくなる。
『島には全周海が見渡せる灯台があるから行っといでよ、日本には此処だけなんだ。』
昼に食堂へラーメンを食べに行った。『いらっしゃい。』でもなんでもない。フェリーの運航ばかり
を気にしていた。磯のりラーメンを食べたがそこそこ美味しい。
次の日の朝も『食事ーふにゃふにゃ〜。』って声で下に降り、『おはよーございます。』と言うと
『オハヨー!』って気合の入った返事をくれる。常に上から目線なのね若女将。
この一ヶ月、『客とは何だ?・経営者とは何だ?・商売とは何だ?』考えさせられる場面に
よくぶつかる。定年近くになって良い勉強ができている。ありがたいことだ。

夕刻、フェリーが欠航になった。よくここまで動いていたもんだ。先生達が乗った時は、
降りる客と、乗る客がアッと言う間に入れ替わったが、それ以降は客が降りて暫くたってから
乗り客が船に入っていった。(客室を掃除していたんだと思います。)

島観光の前、ウィンドパルスで寝転んでいたら、30Feetのモーターボートが『浦賀に帰る。』と
出港して行った。『気を付けて下さいね。』3人で見送ったけど心配でした。島観光の後ウィンド
パルスに戻ったら、モータボートが戻っていました。みんな僅かな休暇を効率良く楽しみたいけど
命あっての物だよね。貴方たちもきっと正解なんです。戻った勇気に拍手です。

戻ってきた30Feetのモーターボートがあれば、『ここは山中湖?』と思える客もやってきます。
そろそろ風呂屋に行こうとしてた時です。お揃いのジギングタックルを船尾に挿した
25Feetのモーターボートが入ってきました。若い男女でサングラスが決まっています。
ライジャケも付けずにバックスキンのロングブーツが、颯爽とデッキから降りてきました。
思わず鈴木さんと目を合わせました。『うへっー!』オジサン達には理解不能な若者の登場です。
相手にしないで、(向こうも相手にしてくれないけど、、)風呂屋に行くことにしました。
今日の露天風呂は風が強く寒いので、中風呂にしか入りませんでした。

『台風でもない限り、強風が3日も続くことはない。』桑原さん明日の回航を諦めたのかな?
夜の民宿は襖が隙間風でガタガタ・ガタガタ。電線を横切る風の音。波の砕ける音。
『ええーっい心配したってしょうがない。寝よ。』昨日に続き8時熟睡。
目が覚めたら、襖はガタガタ言ってない。電線の音もしない。波の音は心なしか静かになって、
桑原さんが床に居ない。私も飛び起きフェリー乗り場へ。波は確実に静かになった。
風は来た時くらいに落ちている。『帰れるぞー!』急いで民宿に戻ったら、鈴木さんが天気予報を
見ていた。『午後には風も落ちるって。』(バンザーイ・バンザーイ帰るぞー朝飯早くしちょくれー)

上から目線も何のその、朝飯さっさとたいらげて、出すもの出したら力丸なんかに用はない。
『お世話さまでしたー。料理美味しかったでーす。』の声に爺さん婆さんが顔を出した。
『気を付けて帰ってくだせーよ。』『また、おいでください。』笑顔だった。
商売はこうでなくちゃいけねえ。客にいただいた銭以上の何かを客に感じてもらわなければ
とうていリピーターにはなりえない。(心の中でジッちゃんバッちゃんも元気でね。って呟いた。)

『朝早くは、そんなでもなかったんだけどね。』と松田さんの昨日の言葉を思い出し、転がるように
マリーナへ、2ポン+ストームジブ並で、取り合えず熱海方向に舵を取る。『ヒェーッ!』波も悪いし
風も弱くなんかないじゃん。テラー握ってるから酔いそうもないのは良いけれど、油壷はクローズ
じゃん。4ノットも出やへんでー。『三崎マリンは15時だな。』なんて、もっと早く帰りたいよー!

20mくらいのブローと3mくらいの波を北から受けて、南東から5mくらいのウネリ。ぶつかり
合って『なんじゃコリャ!』の波ができる。『ヒェーッ!怖いよー』(ナンマンダブ ナンマンダブ )
そんな中でも『落としすぎ!』冷静な桑原さんの声が響く。(僕、一生ついてくからね。)
しんのすけ要らずはとっても便利なんだけど、パソコンの上蓋が閉まって見えません。
バタンバタン叩かれて、そのうち出力しなくなりました。後はコンパスとみんなの帰巣本能が頼り
です。(帰巣本能には自信があるんだ。小ちゃい頃から市電でどっか行っちゃう子だったからね。)

(確信してました。一昨日に見た馬鹿デッカイ浮標のソバを通ることを。舵取りを代わった後は
 その浮標ばかりを探していました。桑原さんに本船ではないことを認めさせなければ、、)
見えました。『12時方向に何かあるー!』(頼むから、このまま進んでくれえー)
一時間くらいたって、やっと傍に着きました。見まごうことなく浮標です。
『斎藤さんが正しかったね。こんなデカイ浮標があるなんて初めて知った。』
カッコイイネ。簡単に認めてくれちゃって。
この浮標の傍を通過する頃には風が落ち、波も南東からのウネリだけになりました。2ポン解除
ジブもかなり出しました。安心して携帯を見ると、しんのすけや田中先生の奥さんから心配してる
旨の電話が入っていました。桑原さんには松田さんから同様の電話が入っていました。二人とも
ほとんど電池が無く、まともな返事ができませんでしたが、『ご心配をかけました。無事です。』
そんな返事をしました。いいね海の仲間って。

そのうち風が変わり真向かいになったので、機帆走に切り換え三崎マリンには13:30頃
到着しました。

3日間の初島クルージング日記も終了です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

しんのすけさん。団塊世代+そのまた上世代のお世話をありがとう。感謝しています。
良かったら、また来年どこかに行きましょう。また今回参加できなかった長浜三戸浜のメンバー
さん。フォルタレーザーが一緒なら20名だって可能です。休暇を溜めて是非参加してください。

そうだ! しんのすけ!ブイヤベース二人分食ったって?どんな味だよ。教えてくれー!

                                       2008.10.23(木)斎藤ま
後日、海上保安庁海の相談室に電話して聞きました。

これは海洋肥沃化装置で『拓海(たくみ)』と名付けられ
2003年に設置したものです。水深1000mの栄養豊な
海洋深層水をくみ上げ、表層水と混合することにより
漁場を造成します。詳しくは東亜建設工業のホーム
ページをご覧ください。ご質問ありがとうございました。
  やるじゃん。海上保安庁